ストックホルム条約への道のり

 環境に関する条約は,実は,結構古くからあります。
 例えば,オットセイの保護に関する条約は1911年7月7日に日本とその他の諸国との間で締結されています。
 また,流水権に関する1929年の条約もあります。

 産業の発展に伴い,国境を越えた公害の問題が発生しました。
 1930年代には,カナダの精錬所から出た二酸化硫黄が国境を越えてアメリカに流れてきて,穀物が被害を受けるという事件が発生しました。このときの仲裁決定は,今でも重要な指標となっています。

 しかし,国際環境法が実際に充実してきたのは,1970年代初期になってからです。
 このころは,産業の発展に伴う公害が発生したことにより,先進国では環境に関する国内法が徐々に充実してきました。
 
産業の発展に伴い,特にヨーロッパでは公害が国境を越えて隣国に行きやすいという特色があったため,国際レベルでの議論が活発化しました。1968年にはスウェーデンがグローバルな環境問題についての国際会議の開催を提唱しました。後にスウェーデンが開催国となり,ストックホルムで1972年国連人間環境会議が開かれました。

 ストックホルム会議が開催されるまで,開発途上国の国々は,公害問題を話し合うどころではありませんでした。これらの国々は,植民地支配から独立したばかりで,自国の権利や力を守りたいという意向を強く持っていました。1960年代,70年には,数の力で,これらの開発途上国は,国連総会において,自国の開発権,天然資源に対する支配権,国内レベルでの環境政策を自分たちで行う権利などについて,決議を次々と獲得していきました。この流れは,開発途上国が「新しい国際経済の秩序」を発展させるための努力の1つでした。そして,「南」から「北」への資源の流れを変え,国際経済において平等な社会を築くことを望んだのです。

 ストックホルム会議の6か月前からの開発途上国の周到な準備により,国際会議での決議で,環境保護開発途上国の発展を阻害しないものであり,環境政策はそれぞれの国に任されるべきであるということが強調されました。